作品解説・キューティー・はにわ
 
 
 
子供から1800歳の方々まで誰もが知っている埴輪。
教科書・資料集などの書籍はもちろん、博物館への展示、「学校の怪談」の映画にも出演を果たし、ぬいぐるみ・キーホルダーとグッズも充実している人気者の埴輪。
奈良の飛鳥のお土産といえば埴輪まんじゅう。

そんな素敵な国民的キャラクター埴輪ですが、その起源は
紀元前29年~垂仁天皇(すいにんてんのう)の御代の事だと「日本書紀」には記されています。
垂仁天皇二十八年の冬、天皇の叔父さんの倭彦命(やまとひこのみこと)さんが亡くなられました。
 

古代倭の国の人々には、人間は死後も生前と同じ様に暮らす、という概念があったので、
尊い方が亡くなられた時は、死後もそのお方にお仕えする様に、
側で仕えていた人々は男女ともに生き埋めにして殉死するという風習がありましたドンッ
 

この叔父さまを埋葬する時も、それまでと同じ様に近習の人々を集めて、
全員陵の側に生き埋めにしたのですが…

埋められた人々は中々死ぬ事が出来ず、坑の中で昼夜泣きわめき、 とうとう死んで腐って行き、動物が集まって死骸を食べはじめたのです。
垂仁天皇はその泣き叫ぶ声を聞き、大変心を痛められて、群臣を集めておっしゃいました。 「生前愛し使われた人々を、古くからの風習であったとしても、 あの様に亡き人に殉死させるのは痛々しい。良くない行いは先人に従わなくても良い。 これからは止めるように」

垂仁天皇三十二年、今度は皇后が亡くなられたので、天皇は群臣に向かって、
 「殉死が良くない事は以前分かったので、今度はどうしようか」と問うた所、
野見宿禰(のみのすくね)という人が進み出て、 「適当な方法を考えて奏上させて下さい」と言い、
使者を出して出雲の国の土部百人を呼び、埴土で人や馬や色々の形を作って、
「これからは、この土物(はに)で出来たものを生きてる人の代わりにして陵に埋めましょう」 と差し上げると、 天皇は大変喜ばれて皇后の墓にそれらを立て、その土物(はに)を名付けて「埴輪」と呼びました。

「今後は陵墓には必ずこの土物を立てて、人間を損なってはならない」と命じ、 野見宿禰さんの行動と考えを褒めて、土地と土師の職を与えられました。
…と、これが記されている埴輪バースデーのエピソードです晴れ
 

埴輪には人や物や動物や、様々な種類のものが様々な土地から発見されており、
これはこの意味があるとか、そんな用途であるとか沢山の議論がなされていますね。
 

特にハニワと聞けば思い浮かぶ、最もポピュラーなこの穴三つで表現された顔があり、
 片手を上にあげてもう片方の手は下に下ろしているハニワハニワしたハニワさん達は、 「踊るハニワ」「踊る男女」などと呼ばれているよう。

日本書紀は言わずもがな意思ある人の手によって記されたものであり、
 特に上代はどこまでが創作でどこまでが真実なのか分からない部分が非常に多く、
垂仁天皇自体が実在が完全には確立されていない存在ですので、 上記のものがこのまま埴輪誕生の真実である、とは言う事は出来ないのですが汗
 

ではもし逆に、 何の熟考もせず、何も深読みせずにそのままこの記述を信じて読んだとしたら、
この見開いた目と大きく開けた口、片手を顔に当てる仕草は、 踊る人間、というよりは、
生きたまま埋葬されて泣き叫ぶ人々の姿と考えられるのではないでしょうか。

尋常じゃない怖さ!(号泣)

しかし今回は、不謹慎かつ全然怖くない、 愛と真実の土器を貫くラブリーチャーミーな埋葬品のハニワを描きましたラブラブ

可愛い奈良の埴輪まんじゅうも、是非召し上がって見て下さいませ~音譜