作品解説・ 敦盛の最期
 
 
 
墨と筆だけで描いた作品です。
 
 
西暦1184年、須磨(すま・兵庫県神戸市)で行われた一ノ谷の戦いメラメラ

平安時代末期、政治の実権を握り、栄華を極めていた、平氏一門。
しかしそれに反発する源氏の勢力も急速に増して行き、
平清盛の死後、源氏の軍の圧倒的な兵力により、平氏は一度は都を追われますが、
何とか軍勢を立て直し、一ノ谷に陣をかまえます。

そこで源頼朝の差し向けた軍の総攻撃により敗れ、逃げまどい、 屋島に向かって海上を船で敗走する事になりました波

 そんな時、
『平氏の軍が、助け船に乗ろうと、波打ちぎわの方へ逃げているだろう。 身分の高い大将軍と取っ組み合いたいものだ!』
と、海岸の方へ馬を走らせてきたのが、
源氏軍の武将・熊谷次郎直実(くまがえのじろうなおざね)さん馬
 
 
面右側に描きました、扇を掲げた武将です。

敵を探して馬を進めていた所、沖の船に向かって、金ぴかの馬具をつけた馬を泳がせて逃げる、キンキラキンの刀をさした、イカした甲冑着てる一騎の武者を発見ビックリマーク¥
直実さんは、それを見て、しめしめあれこそ俺が求めていた大将軍に違いない、
さて討ち取ったりと、扇で招き、声をあげます。

「待て!!!!敵に背中を見せて逃げるのか!!戻って来たまえ!」

 その呼びかけに振り向き、なんと凛々しくも応じて陸に向かって戻って来たのが、
 画面左側に描きました、敗走中の平家方の武者、平敦盛(たいらのあつもり)さん。

その平敦盛が波打ちぎわへ上がろうとする所で、 むずっっっっと取っ組み合い、二人して馬から落ち、てんやわんやで 直実がとうとう押さえ込み、
首を取ろうとその平氏の武者の兜を剥ぎ取ってまじまじよく見ると、 なんとそれは自分の息子・小次郎と同じ歳ほどの、若く美しい少年で、薄化粧にお歯黒をしており、 とても刀を立てる気にはなれなくなりました。

お歯黒をしている、というのは、当時、既婚者であると同時に、金属を歯に塗れるくらいの身分の高い金持ちであることの証明なのですね¥ きっと高貴の方のご子息に違いありませんお金
 

直実が大変驚き、思わず
 

「そもそもいかなる人にてましまし候ふぞ。名のらせたまへ。助けまゐらせん。」
(「誰だ、何という名のお方か。名乗ってくだされ。是非助けましょう。」) と言うと、
 
若い平氏の武者は「お前こそ誰だ!」と言います。
「私は武蔵の国の熊谷次郎直実だ。」と直実が名乗ると、若武者は
 
 
「さては、なんぢにあうては名のるまじいぞ。なんぢがためにはよい敵ぞ。  名のらずとも首を取って人に問へ。見知らうずるぞ。」
(「私はお前ごときに名乗ってやるものか。しかし、お前にとって恰好の敵だ。  私の首を取って、こいつは誰かと人に聞け!必ず誰かが知っていよう!」)
と言いましたキラキラ

それを聞いて直実は、

~なんと立派な大将軍だ!この者一人を討ち取っても、討ち取らなくても、 勝つ時は勝つ、負ける時は負けるのが戦というものであろう。
この者の父は、この者が討たれたと聞けば、どんなにか嘆き悲しむだろう。 なんと哀れなことだ。なんとかして助けよう!~

と、自分の息子と重ね合わせ、人の親として最大の慈悲をかけようとしますが、
後ろを振り返ってみれば、自分の味方の源氏方の武将が50騎ばかりも迫ってきていました。

「あなたを何とか助けたいとは思うが、味方の数も多く迫ってくるので、 もう逃がす事ができない。 あわれとも思わない他の誰かの手にかけるよりは、せめて私が首をとって、
後に立派に供養いたします」
と声をかけるものの、
それを聞いても若武者は、 「さあ、さっさと首を取れ!」と相変わらず堂々とした、毅然とした態度…。


直実はあまりに可哀想で、そして悲しく、しかしどうにもできず、泣く泣く刀で首を取ります。

「武家に生まれたから、こんな悲しい目にあうのか。 こんなに若く将来のある、息子と同じ歳ほどの優れた若者を、 情けなくも自分の手で殺してしまった!」

と、袖に顔を当てて泣きじゃくりました…。


平家物語の中でも最も悲しく泣ける話と有名な、敦盛の最後のシーンです波

直実が後に知る事ですが、この若武者は名を平敦盛と言い、歳はまだ17歳。 そして遺体についていた腰の袋の中に、笛を見つけます。

甲冑を着ながらも所持していたその笛は、こんな戦場でも雅を忘れない、貴族の心を持っていた人物だという事の証拠でしたキラキラ


敦盛さんは、首と胴を別々に葬られ、現在の兵庫県神戸市の須磨寺には「敦盛の首塚」が存在し、胴体は一ノ谷に埋葬されているという事です。


戦ひとつといえども、人の数だけ、物語がありましょうアップ